第三部 UNDER PARIS SKIES

ジョン・ルイスの訃報が届いた。これで完全にMJQも終焉したな、と思う。

The Last Concertという二枚組が出たのは70年代のことだ。なんのかんのとそれ以降も活動していたことを思えば実に看板に偽りありとしか言いようもないのだが、実のところそれがジャズ入門だった人間にしてみればやはり感慨がある。 MJQの音楽は案外とうのたった聞き手ほど軽んじたりする。でも、経験としてそれを通過していないとは考えにくい。マチスが好きだ、いやミロだ、と西洋絵画を語るとしても一番最初はミレーとかユトリロだったりするのと同じかも知れない。至極当たり前のことだがマチスがユトリロよりエライということでは全然ないので、オーネット・コールマンだけがホンモノだと思っている人でもやはりMJQを悪く言うことはないのだ。


MJQの本質は一言で言うなら「猛獣使い」ではないか。


勿論、猛獣はミルト・ジャクソン。それを操るのはジョン・ルイスだ。 バグスの抑えのきかないブルース・フィーリング、本能とも呼びたいマレットの歌心。それはそれだけで十分素晴らしいのだが、放恣に流れてしまえば輝きも拡散する。それをコンボ演奏という柵の中に閉じ込めてアレンジという鞭で捌くのがルイスだった。時に動物園のライオンはサバンナで見るよりも鋭くその凶暴さを露出している。自由を奪う枠組が却ってその本質を際立たせることがある。

MJQのバグスはドレスアップした野獣だ。ひどく危険で官能的だ。そして彼はルイスがいなければ出現しようのない魅力的なモンスターだった。

どうしてこんな話をするのかというと、澤野由明・稔の兄弟がこの関係に少し似ているからなのだ。その場合、由明=ルイス、稔=バグスということになる。稔さんを猛獣にしちゃうのはマズイが勘弁してもらおう。稔さんは言うまでもないがシャフラノフのMOVIN’VOVAにEXECUTIVE PRODUCERとしてクレジットされている人物だ。


澤野工房、というか澤野商会の原点は80年代の前半に遡る。


当時、稔さんは日本で働き、元手をつくってはヨーロッパを旅するということを繰り返していた。目的は何か。ジャズのレコードを探し歩くのだ。専門店の買いつけであるなら兎も角、単なる趣味でとなるとまさに「病膏肓に入る」。大体当時は専門店の買いつけだってとても一般的とは言えない時代だ。

由明さんのほうは、これも既に有名すぎるが家業の履物屋を新世界でやっていて、そしてジャズのレコードを集めていた。その頃の新譜にフレディ・レッドのUNDER PARIS SKIESがあった。


フレディ・レッドと言えば麻薬劇と呼ばれた「コネクション」の作曲者であり、BLUE NOTEのSHADES OF REDDのリーダーだが、件のBN盤のレア度を見ればいかに過小評価されてきたかが分る存在だ。バド・パウエルがそうであり、デクスター・ゴードンがそうであり、ケニー・ドリューがそうであったようにフレディ・レッドもまたアメリカにいるよりもヨーロッパに渡ったほうが手厚くもてなされたようだ。フランスのFUTURAレーベルから登場したこのアルバムにはおのぼりさんよろしくエッフェル塔を背景にした彼が映っている。

さて、ビギナーにはもひとつピンと来ないのだが、一回りしてきた、というタイプの聞き手にはたまらなくオイシイというレコードがあるものだ。

そりゃ、世の中ほんとにスゴイものは間口が広いし奥行きも深い。モーツァルトの音楽、ヒッチコックの映画、フィッツジェラルドの小説。ジャズ・レコードだってそうだ。マイルス・デイヴィスKIND OF BLUE、ジョン・コルトレーンMY FAVORITE THINGS。もちろんMJQも。これらに対してできることはただ感動して脱帽しました、ということしかない。

それらに較べて間口は狭いのだけれども奥行きが深いという種類のものがある。入り口が狭いので誰にも入れるというわけではなく、しばしば敷居が高い。奥のほうは暗いので見えにくく、何があるか知りたければとにかく入るしかない。京の町屋の料亭みたいなものと言えば良いか。奥まったところに小さいが見事な庭があって、それを眺めながら食する懐石は見てよし、味わってよし。もちろん少しは高くつく。

万人受けするわけではないが、だからこそ愛しい。それらはある者たちにしか分らない美を備えた花に似ている。

正直、UNDER PARIS SKIESはそれほど「気難しい」内容ではない。ただ、日本盤として制作されることはなく、輸入盤店を通じての入手しかできなかったという点では明らかに間口が狭く、何にせよ誰もが聴けるというわけではなかった。

由明さんはこのレコードが欲しかったが手に入れることができなかった。現在も大阪梅田は阪急東通り商店街で営業している(2018年現在は閉店)輸入盤の老舗V.I.C.ですら二枚しか入荷できなかったというのだ。こうなると余計欲しくなるのがマニアの情というもの。


(http://www.mydo.or.jp/hankyuhigashi/shop/nakadori/nakadori_21.html より引用)

そうこうするうち、例によってヨーロッパをレコード行脚中の稔さんから連絡が入る。FUTURAのプロデューサーと出会った、というのだ。由明さんはどうしたか。


 「UNDER PARIS SKIESを再プレスしてもらった」という。


 あえて大阪弁で言うがごっつい話だ。

 欲しいレコードが手に入らない。じゃあ作ってしまおう。

 普通そんなことするか?


これは以前プロレスのアントニオ猪木が言った言葉を思い出させる発想だ。


「ジャングルが消えているというなら、ジャングルを作ればいいじゃないか」


当然テープをダビングするようなわけには行かない。プレス・マシンを動かす以上、まとまった枚数でなければ話にならない。この場合は5000枚。由明さんは 「内容ええし、日本で売れる」と考えた。で、再プレス分を全てひきとり、事実売り切ってしまった。これがFOR COLLECTORS ONLYを謳ったヨーロッパ・ジャズ輸入盤専門店、澤野商会の出発点というわけだ。

由明さんの趣味が嵩じてという姿勢はまさに偽りのないところで実に天晴れなのだが、考えて見ると、稔さんも大したものだ。だって今でこそ必要が発明の母となってパリに店舗を構える稔さんだが、UNDER PARIS SKIESの交渉をした時点ではレコード業界に何のコネクションもない全くの素人だったのだから。

田中角栄という人物を評して「コンピュータ付きブルドーザー」というのがあった。

稔さんがそういうタイプだと私は思う。

全く物怖じしないというハートの強さあればこそ、少々の強行突破はものともしない。日本に帰ってこられた時は自らのビジネス(日本盤をヨーロッパで販売する)のためにそれこそ国中を飛びまわる。「澤野工房」のためにはそれを汎ヨーロッパに拡大して行うことになる。信じがたいほどのタフネスと機動力だ。


 「澤野工房」はこの二人が中心になって動いている。


由明さんのテイストがリリースする対象を絞り込み、稔さんの剛腕がそれをカタチにする。私が二人の関係をジョン・ルイスとミルト・ジャクソンのそれに喩えたのもなんとなく分って戴けるのではなかろうか。

けれど、稔さんが行動だけの人なのかと言うとそれも当たっていない。

シャフラノフの新作を他に先んじてモノにし、MOVIN’ VOVAのライナーに彼自身をして日本のリスナーへの謝辞を記させたものは稔さんの誠実なネゴシエイトとケアであると見て間違いないだろう。人の心の機微にも通じた人物なのだ。

メジャーなレコード会社にはないSAWANOブランドの魅力はおそらくそういう二人の個性がリリースする作品ごとに少しずつ姿を変えながら反映していることだと思う。言わば作り手の顔が、想いが見える作品群がカタログを形作っている。HAND MADE JAZZとはよく言ったものだ。

この先澤野兄弟の仕事がどのような軌跡を描くかは分らないが、その姿勢だけはなくして欲しくないと願わずにはいられない。

ところでUNDER PARIS SKIESだが、これはしみじみと良いレコードだ。ハード・ バップが退潮していく中で盛りを迎えた「遅れて来た」男。実力は間違いないけれど個性的で地味で脚光を浴びることもなく、それでも自分のやりかたを通してきた、夢の残映に拘りながら生きてきた者ならではの、枯れた美しさ。最低限の言葉で想いを伝えようとするかのような不器用な誠実さ。このレコードにはジャズへの愛を感じる。

そう考える時、これは単にビジネスとしての「澤野工房」の原点であるのみならず、その伝えようとする音楽の原点でもあるという気がする。そしてそれは我々にとって幸福なことでもあったと思う。

ある意味、マトモでありすぎるために埋もれているものにきちんと光を当ててやってほしい。そしてそういう本当に良きものをそっと教えて行ってほしい。

おそらくそれらはささやかではあっても不滅であり、真の輝きを持っているはずだ。

澤野商会の活動の第二弾は名だたる超レアアイテム、ジョルジュ・アルバニタスの3A.M. の復刻だった(重量盤による最近の復刻は二度目)。これはどういう理由によるものだったのだろう。



 「手に入らへんかったんやもん」


 こればっかりや。


ともあれ、全てはUNDER PARIS SKIES、パリの空の下で始まったわけだ。

<文 / 北見 柊>

 

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