2. 澤野商会から澤野工房へ

北見 澤野工房を語るためには、その前身である澤野商会の話をせなあかんけども。澤野商会が設立されるまでの経緯は本を読んでいただくとして、まず澤野さんはね、「日常に耐える才能」がズバ抜けてると思うねん。これは最初に出た「続けることが得意」という話に通じるところなんだけど。じっと下駄屋に腰を据えて、お客さんが来てくれるのを待つという、そういう日常を40年以上繰り返してきたわけやんか。「よその街で暮らしてみたい」とか「世界中を動き回って仕事したい」みたいな願望をあまり感じない。

澤野 そういう衝動がないことはないんですよ。でも弟がフランスに移住して、そういう道を選んでもうたからね。僕は長男やし、ここ(新世界)に根を下ろすしかなかった。

北見 稔さんとは生き方が対照的やけど、ホンマに仲がええよね。今でも毎日のように電話で話しとるし。

澤野 嫁さんや娘にも言われますよ。「毎日何をそんなに話すことがあんねん」と(笑)。

北見 日本盤LPの輸出を始めたのも、もともとは稔さんの生活をバックアップするためだったわけでしょ?

澤野 そうです。でも正直に言うと、下駄屋だけやっててもヒマだったという理由が大きいかもしれない(笑)。

北見 お父上が優秀な下駄職人やったからね。自分の道を模索するしかなかったわけや。

澤野 それに若い頃は、下駄屋をやるよりジャズを仕事にする方がカッコええと思ったから。

北見 素直な動機やな(笑)。その頃は単純にヨーロッパから注文のあったレコードをこっちから送ってただけ?

澤野 そうです。当時、自分はもうオリジナル志向になってたからね。日本盤LPにはあんまり興味がなかった。「これはウケるから多めに送っとこう」みたいな機転をきかせることはあったけど、基本的には弟が取ってきた注文に応えるだけです。

北見 それが変わってきたのが、クリス・クロスの輸入代理店になった時期なのかな。

澤野 そうやね。同時期に復刻とかもやり始めたし。

北見 最初の復刻にフレディ・レッドの『UNDER PARIS SKIES』を選んだのはどうして?

澤野 自分が欲しかったんですよ。買いそびれて、全然手に入らへんかったから。

北見 これまた素直というか、元も子もない動機やな(笑)。その発想はすごいよね。普通のマニアは欲しいものが手に入らなくても「自分で作ろう」という発想にはならへんで。あれはイニシャル1000枚やったっけ?

澤野 1000枚。僕がこんだけ欲しいんやから、日本に1000人は欲しい人がおるやろうと思ったんです。あのレコードはその後もプレスを重ねて、最終的に5000枚ぐらい売ったね。

北見 ジョルジュ・アルヴァニタス・トリオの『3 A.M.』は?

澤野 あれも手に入らへんかったから。

北見 そればっかりや(笑)。

澤野 あのレコードを最初に復刻した時は、勇んでディスクユニオンさんにセールスに行きました。そしたらバイヤーさんが『3 A.M.』を知らんかったんですよ。「とりあえず30枚でいいですわ」と素っ気なく言われて、思わず「えっ? これ、あの『3 A.M.』ですよ。手に入らないんですよ!」と力んでしまった。すぐに売れたから、そのあと300枚ぐらい追加発注があったけどね。このレコードも何度か再プレスして、数年後にはフィリップ(・ギルメッティ、スケッチの元プロデューサー)と組んで、よりオリジナルに忠実な意匠で復刻しました。

北見 その2枚とか、同じくアルヴァニタスの『COCKTAIL FOR THREE』、このへんは「澤野さんぽいな」と思うねん。でも、そのあとのJ.R.モンテローズ『ALIVE IN AMSTERDAM PARADISO』とか、クロード・ウィリアムソン『IN ITALY』は澤野さんの趣味とちょっと違うように思うんだけど。この2枚はどうして出すことになったの?

澤野 確かに好みだけで言うと、この2枚はそんなに僕の好みじゃなかった。当時はまだ「有名なミュージシャンが参加してるレコード、有名な曲を演奏してるレコードしか売れへん」という考えに囚われてたんです。

北見 なるほど。やっぱりそうやったんや。

澤野 ただ、この時期の経験がその後のアトリエ澤野の制作スタンスを決めてくれたのは間違いないです。(ウラジミール・シャフラノフ・トリオの)『LIVE AT GROOVY』を出そうか迷っていた時、北見さんが「こういうのを出したらええねん」と背中を押してくれたでしょ。これが結果的に売れたから、僕の中でいろんな縛りが取り払われたんです。有名なミュージシャンじゃなくても、有名な曲を演っていなくても、ええもん作ったらちゃんとお客さんに届くことが実感できた。

北見 『LIVE AT GROOVY』と、それに続く『WHITE NIGHTS』が売れて、澤野工房/アトリエ澤野がええ感じに軌道に乗ってきた。で、次に出したのがロブ・マドナ・トリオの『I GOT IT BAD AND THAT AINT GOOD』。

澤野 これは初期の復刻では一番好きなレコードやね。シャフラノフが売れて、次どうしよかなと迷ってた時に、マスターテープを買うチャンスが巡ってきた。ある種の賭けだったんだけど、絶対売れるという確信があったんです。これが売れたら、うちは続けていけると思って出しました。

北見 なるほど。ここでジャズ好きとしての本音が出たわけや。やっぱり澤野さんはオランダなんやな。

澤野 どうゆうこと?

北見 「政治的に正しいジャズ」ってあるやんか。黒人やマイノリティの主張の上に成り立っている、熱い音楽としてのジャズ。オランダのジャズはそういうものとは違うところで、クラシックの土壌で発展してきた。ルイス・ヴァン・ダイクにせよピム・ヤコブスにせよ、もっと言えば最近のヨーロピアン・ジャズ・トリオもそうかもしれへんけど。方法論としてはジャズだけど、本来ジャズの持っている血の熱さとかは「脱色」されている。だからオーセンティックなジャズ・マニアの間では「あんなもん聴いたらあかん」みたいな空気があった。でもそれを「聴いて心地よかったらええやんか」のひと言で突破したのが澤野工房やと思うねん。

澤野 そんなこと自分で分析したことないけど……まあ結果的にそうなったのかな。

北見 前から聞きたかってんけど、澤野さんは自分のことを文化人と思ってる? 商売人と思ってる?

澤野 そりゃあ商売人ですよ。

北見 やっぱり。そう答えてほしかった(笑)。両者の何が違うか言うとね、私は「説明責任があるかないか」やと思うんですよ。本来ジャズという音楽は、さっきも言ったように「熱い音楽」。好事家がそれぞれの持論をぶつけ合う、語り合うことを含めた音楽でしょ。でも澤野工房は「聴いて心地よかったらええやんか」という強烈な自己肯定で、全部をチャラにしてしまった。これがジャズという音楽のハードルをグンと下げたんじゃないかな。だからサワノの作品が「スイングジャーナル」と合わんかったのは当然やと思うねん。ジャーナルとの関わりについては本を読んでほしいけど。

澤野 なるほど。ようそんなこと分析できるな。北見さんに言われると「ああ、そうやったんや」と納得してまうな(笑)。

 

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